石と誰かの物語16*「コラム」

夫を送り出した後、今日は休みの私。

徐(おもむろ)に新聞を取り出し、コーヒーを飲む。

休日のこの時間は至福の時。

何気なくテレビ欄から開くのが私の癖。

二人の子どもは大学生になり生活費と学費を送るために夫婦が汗水たらして働く。特に今年は長男が就活に入り、次男は新入生。どれほど金がかかったことか。二人のボーナスまでむしりとられた。

子どもが県外に行くことも、私立に入ることも十分わかっていたが実際二人が同時に大学に在籍することは考えていなかった。

しかも、就活だからスーツ代や旅費までがかかるなんて。なんなのよ。

それでもどうにかそういう生活が可能だというのは幸せなことだと思う。私の周りには夫の会社が倒産したり、親の介護で自分たちの生活が崩れていく人もかなりいる。

そんな中、新聞のコラムに同級生の名前を見つけた。

 

「新聞社に入ったって、昔聞いたけどコラムに名前を見つけたのは初めてだわね」

 

なんか自分が彼女と同級生だということが妙に誇らしい。彼女は家庭面の担当だとわかった。この日の記事は介護問題。

彼女は森山知聖(ちせ)。いつも数学の時間になるとすっくと立ってこう言うのだった

 

「先生、トイレに行かせてください」

 

初めはどうぞどうぞという感じだったが、三日に一度はそう言う彼女に先生は露骨に嫌な雰囲気を出した。

 

「あのね、トイレに行かさないのは人権問題になるけど、数学だけそうなるみたいじゃないか。おかしいよ」

 

「はい、私もそう思うんですけど、こればかりは」

 

「もういい、行きなさい」

 

その時に男子はくすっと笑うし、女子は困った顔をしていた。

 

「早崎さん、プリントを職員室に忘れてきた。悪いが取りに行ってくれないか」

 

そう言われて廊下側の前の席にいた私は頷くと教室を出た。

すると、彼女はトイレではなく四階の美術室の窓から外をぼーっと眺めていた。

 

「あ、見られた」

 

私が見ていることがわかると、彼女はにこっと笑って口に人差し指をあてた。

もちろん告げ口などする気もない。でも、この自由な雰囲気が羨ましすぎた。私たちは教室で難しい微分積分を解いているのに。

彼女は十分ほどすると一息ついて戻ってくる。まるでおじさんの喫煙タイムみたいなもの。

その彼女が今は家庭面の親の介護問題を連載している。

 

そこには年老いた両親の世話を一人で取り組まざるを得ない様子が見えた。

彼女に兄弟はなく、父親が48、母親が42で授かったのが彼女だった。

結婚はしていない。

両親は健在だが、100歳近い父と母。介護施設には満員で入れないから順番待ちだとか。父親は売れない絵描きだと聞いたことがあった。美術室がお気に入りの逃げ場所だった彼女、父親のことを尊敬していたようだ。父親の代わりに生活費を稼ぐ母親はスナックで働いていた。

もちろん彼女も新聞配達をして自分の小遣いを稼いだようだ。長期の休みは夕刊も。ひと息つけたのが数学の時間だったのだろう。仕方ないよ。今はそう思う。

そんな彼女が抱える親の介護。

50に手が届きそうになった今、介護認定を受けてヘルパーに家事の負担を手助けしてもらっている。朝の慌ただしさの中、おむつの交換や朝食の準備、ヘルパーにデイサービスの送迎を頼む。

子育て期の壮絶な忙しさが彼女は今なのだと知る。しかし、相手は子どもでなく老人。言い聞かせるだとかは無理な話。これはいかに大変なことか。

幸い私の両親も、彼の両親もまだ健在で自分のこともしっかりできるし、いまだに子どもたちは休みになると顔を出して小遣いをもらっている。

一人でどれだけのことをこなしているのか、心配にもなる。

そんな彼女に届くといいなと、新聞のデジタル面に感想のメールを送る。

すると、すぐに彼女から返信が来た。

 

「なんてことなの! 早崎さんからメールが来て嬉しくてびっくりよ。会えますか?」

 

「はい、いつでも。今日はたまたま休みで家にいます」

 

初めて送ったメールに、彼女から返信が来るとは考えていなかった。何しろ30年近く会っていないんだから。しかもあの頃に文通もしたこともなかった。電話すら

喫茶店に入ると、すぐに見つけた。

相変わらず、すっきりとした顔立ちでショートヘアがよく似合っていた。耳元には緑のピアス。

 

 

「こんにちは」

 

「わあ、ほんとに早崎さんね」

 

彼女とこういう会話を学生のころにもしたことはなかった。でも、彼女は好奇心満載の様子でいろいろと話を聞いてくる。ついつい結婚したいきさつなども話してしまった。

 

「ご両親と暮らしているのね。新聞を見たわ」

 

「ええ、もうずっと。大学のころは逃げて県外に行ったけど、就職はこっちへ戻って。結婚もしようかなと思っても、踏ん切りがつかなかったわ。きっと縁がなかったのね」

 

彼女は私の話を楽しそうに聞いてくれた。

 

「こんなに話しやすい人と思わなかったわ」

 

と、つい言ってしまった。

 

「早崎さん、私ね、いつもあなたのこと羨ましかったのよ。話したいことも沢山あったけど、私はバイトで早く帰らないといけなかったし、みんなのように部活もしなかったから」

 

「なぜ、私なんかを羨ましいなんて」

 

「だって、あなたはいつも達観しているように見えたわ。友達ともつるまないし、先生にも好かれていたし。大人なんだなと

 

「えーっ! それは私の言うことよ。あなたの方が好き勝手に行動できて羨ましかったわ」

 

「ふふふ、それは数学のトイレでしょ」

 

「そうよ、先生は怒ってるのに、あなたは無視するし」

 

「だって、あいつは怒れないのよ。母のスナックの常連で」

 

「えっ、そうなの?

 

聞けば驚くようなことがたくさん。

スナックには先生のボトルもあったとか。日ごろの愚痴をスナックで言ってたら、彼女が奥から現れてホントに腰を抜かすほど驚いたって。今思えば笑えるけど。先生は気の毒だったわね、息抜きの場が減って。

彼女は両親が元気なうちは一人で旅行もできたし、好きなように生きてきたけど、ここ数年は二人が急に弱って来たので束縛も増えたという。そう簡単に入れない介護施設のことや、厚生年金もない二人にかかるお金。それでも、彼女の扶養でどうにか暮らしているが、自分の将来は明るくないと笑って話す。

それでも、耳元の揺れるピアスは彼女の苦労をサラサラと聞き流すようだ。

 

「素敵ね、ピアス」

 

「うん、これ、パートナーからもらったの」

 

「恋人?」

 

「ううーん、まあ恋人よりパートナーって感じね」

 

「その人は一緒に暮らさないの?」

 

「あちらにも一人の親がいるのよ。母親がね。二人で暮らして三人を介護っていやでしょ」

 

「あ、ああ、そういうこと」

 

「うん、会いたいときに会って、二人でこっちのおむつがいいなんて楽しい会話してるの」

 

笑っているけど、話は重い。こんな素敵なピアスをくれる人って、きっと優しい人なのだろう。介護しながらお互いが支え合うのは結婚しなくてもできるわね。

 

「クリスマス、どうするの?」

 

不意にそう聞かれて驚いた。この年齢になってクリスマスって。夫と二人で鍋だわね。

 

「あなたは?」

 

「昨日、ツリー飾ったの。父が絵を描きたいって言うから。季節の流れを味わうにはいいかなと。デイサービスには描きたいモデルがいないって」

 

思わず吹き出した。そうね、そうだわね。画家にはそうかもね。

 

「彼は?」

 

「うん、29日からは会社も休めるから。その時にクリスマスよ。彼もその時ならって」

 

「なんか、羨ましいわ。あなたたち」

 

「どこが?」

 

おかしそうに笑う彼女。

 

「だって50に手が届くようになっても、クリスマスを考えるなんて。子どもがいないと、私たち夫婦は考えないわよ」

 

「そう? 私は今を楽しみたいのよ。育児も知らないから、子供の成長とは縁がなかったわ。両親を看ることは楽しいことより苦しいことの方が多いわ。そんなときヘルパーさんを頼めるようになってすごく助かったの。泣いたり意地悪言ったり、嫌な娘だったのよ。でもヘルパーさんが頑張ってるわと褒めてくれる方で。そしたら肩の力が抜けたの」

 

彼女の目を見るとキラキラしてる。私はいつの間にか涙をこぼしていた。大変に決まってる。大人の介護なんだもの。赤ちゃんとは違う。老いていく親に自分の未来を見るような。

 

「なんか泣けるわ。あなたの生き方に感動よ」

 

「そう? また会いましょうね。私、誰かに聞いてほしいといつもどこかで思ってたのね。こんなに何もかも話したことってないわ。あなたはカウンセラーだわ。メール、本当にありがとう」

 

その夜、夫にその話をすると久しぶりにじっくり聞いてくれた。

 

「これからはこういう問題は僕たちにも来るよ。二人でその都度話し合わないとどちらかに無理が行くね。きっと君のほうに。僕が気が付かないときは言ってくれよ。で、そのピアスの代わりに、君は何を欲しいの?

そう言いながら、夫は言った。

 

「そのピアスの代わりに、君は何がほしいの?」

 

「あら、わかる?」

 

「ああ、そこにピアスの話はいらないからな」

 

「ふふふ」

 

 

 私はピアスはできないから、イヤリングをお願いします。

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