石と誰かの物語14*「クリスタルに口づけを」

 私たちはもう四年目に入る。

 給料も知ってるし、あなたに貯金がないことは百も承知よ。

 でもね、でも一つ言わせて。

 見たのよ、昨日デパートでアクセサリー売り場で女性と買い物してた。

 初めはお姉さんか、妹か、あるいは百歩譲って従妹かと。

 でも、翌日も見たの。会社近くで二人で食事していたわ。毎日家族と食事したり買い物したりしないでしょ。私は取引先へ新しい見積書を届けに課長と一緒。食事に入ったレストランで奥に座ってる二人。あなたと向かい合ってる彼女は前日にピアスを選んでいたあの人。

 せっかく課長がおごってくれたトンカツも思わず胸につかえそうになったわ。

 

「うまいな」

 

「・・・はい」

 

 盛り上がらないのは悪いと思ったけど、奥の二人が気になって。課長は大口の新規契約できたからすこぶる機嫌がいい。普段のワンコインランチと違って満足そう。二人が楽しそうに会話しているのを見ると、だんだんカッカしてきた。

 なんなのよ、あの雰囲気。私と食事してもお互いが週刊誌や漫画を開いて黙々と食べるのに。初めのうちは楽しくおしゃべりしていたのに、もうはるか昔のような気がしてきたわ。

 そうよね、彼女は高いヒールを履き、その体にフィットしているブラウスは高そうだわ。そのチェックはあのブランドね。バッグはロゴ入り。はい、知ってるけど私はボーナスはたいてそれを買うことはないわ。

 

「どうした、具合でも悪いのか」

 

「いえ、大丈夫です。花粉症です」

 

「そうか、僕はもう一つ寄るところがあるから。君は先に会社に帰ってくれていいよ」

 

「はい、わかりました。今日はありがとうございました」

 

「おう、おごるなんて滅多にないからな。じゃお先に」

 

 さて、このままここにいても仕方がないわ。外に出るとウインドーにうつる自分の姿。リクルートみたいに紺のブレザーにグレーのタイト。薄いピンクのカッターシャツ。面白くもなんともない無難な格好。ネイルもしないツンツンに切った爪。指輪もない。耳には母からもらった18金の小さなイヤリング。

 

「あーあ、なんなのよ、これがアラサーのイケる女?」

 

 いいの、これでも仕事はできるんだから。

 さて、会社に着くとメールの着信音。

 

「今日は会える?」

 

と、送信した朝のメールに返信。

 

「無理、明日から日曜日まで出張で大阪だから。帰ったら連絡する」

 

「了解」

 

 ふーん、大阪に行くのか。

 『昼休みは楽しかったでしょ』

と送りたい気持ちを抑えてケータイを握る。いろいろ考えても会社に戻ると仕事が山積み。仕事に没頭していく。

 あっという間に六時を過ぎる。

 

「帰らないの?」

 

 みんなが帰るけど、今日の予定がない私。仕事を片づける。

 

「おいおい、残業はもうよせよ」

 

そうね、みんなに言われるまでもない。机のファイルを片づけてるとふいに涙がこぼれてきた。それほど気にしていると思いたくない。あいつのことなんかそんなに考えてない。くそっ、もう腹立つ。飲んで帰る。親父だわね。この感覚。

 会社を出ると、いつもの喫茶が赤ちょうちん? そうか、夜だけ居酒屋に貸してるのか。

 

「いらっしゃいませ」

 

 予想に反して素敵な女性。年齢は私くらい? アラサーか。

 

「お腹すいてるの」

 

「では、ピーマンの肉詰めなんかはいかがですか」

 

「へえ、おいしそう」

 

「ええ、和風にしているのでさっぱりですよ」

 

 付きだしのサラダもミョウガが入っていい感じ。

 

「お飲み物は?」

 

「生ビール。ジョッキでちょうだい」

 

「はい、かしこまりました」

 

 よく冷えたビールが何とも心地よい。バットに並んだピーマンを三つ取出しフライパンに。いい匂いがしてくる。目の前の鉢にはこんにゃくとごぼうのきんぴら炒め、ブリのアラ煮。筍の土佐煮。どれも好みだわ。

 

「このきんぴらもください」

 

「はい」

 

 ピーマンに大根おろしと大葉をトッピングして酢醤油の小皿が出される。

 

「わあ、あっさりして美味しい」

 

「そうですか、嬉しいです」

 

「このお店はいつからですか」

 

「もう二週間になります。幸い、夕方前の腹ごしらえに寄ってくださる方が結構いらっしゃって助かってます。」

 

「そうなの。知らなかった」

 

「ええ、どうぞごひいきに」

 

「うん、今度から寄るわね。でも、前からこういう仕事されてたの?」

 

「いいえ、ごく普通の会社員でした。でも、仕事もいいけど机上だけではやる気がどんどん失われてしまって。ちょっと顔が見える仕事がしたいなと。それでも資金が貯まる前に賃料はあがるし、とても手が出せないので、夜だけマスターに借りてるんです」

 

「そうなの。わかるわあ」

 

「あら、そうですか」

 

「そうよ、私だって特技があればなあ」

 

「そんな、特技というほどのことではないんですけど、母が小料理屋をしていたので、見よう見まねで」

 

「あら、お母さんも店を? どこで?」

 

「もう亡くなりましたが神楽坂で」

 

「あなたのお母さんならまだお若いでしょう」

 

「ええ、五十七でした。もう六年になります。父はどこかで生きてると思うんですけど。随分前に離婚したから」

 

 彼女の料理はどれもおいしくて、ビールが進む。話も押しつけがましくなく感じがいい。

 

「これは今朝作ってみたんですけど、いかがですか。サービスです」

 

「この魚はなあに?」

 

「ニロギというんですけど、酢漬けが美味しいんです」

 

「あら、ほんと。今日はくさくさしてたけど美味しいものを食べると忘れるわ」

 

「そうですよ、胃袋が満たされると、人は幸せになるって母が言ってました」

 

「そうね」

 

 そう言いながら涙がポトリ。

 

「明日はここは休み?」

 

「この一カ月は休みなしです。ちょっとマーケットリサーチといいますか、この町ではどの日がどういう動きをするのか見極めようと思いまして。それから定休日を決めます」

 

「そう、明日も来ちゃうかも」

 

「ぜひどうぞ。お待ちしてます」

 

 入れ替わりに残業帰りなのか、男性が三人入って来た。

 

「みっちゃん、こんばんは」

 

 みっちゃんって言うのか、知らなかった。

 やっぱり仕事だけではだめだな。こうやって会話をするとどこかで気持ちが落ち着くもの。

 

 ケータイが鳴る。

 

「おーい、大阪もいいぞ」

 

「あら、どなたかと思ったら。お元気でした?」

 

「なんだ、その嫌味な言い方は」

 

「いいえ、いつも通りですわ」

 

「いいものを買ったんだ」

 

「そうですか、それはようございました」

 

「ちっ、何怒ってるんだよ。仕方ないだろ、出張なんだから」

 

「そうですとも、お仕事たっぷり人間ですものね。何をお求めになりましたの」

 

 あの二人の姿が目に浮かんでくる。ビールで怒りのスピードも上がる。

 

「ちょっとなんだよ、せっかく電話してるのに」

 

「私も仕事してまして、今会社に一人ですの」

 

「残業してるのか。帰りは気をつけろよ」

 

「ええ、どうせ、誰にも襲われる危険もないアラサーですから」

 

「はあ? 誰もそんなこと思ってないぞ」

 

「あ、社長が。ではごめんください」

 

 切った。

 くーっ、嫌な女の見本だわよ。

 

 ピンポーン。

 こんな朝早く誰よ。

 のぞき穴から見る。目と目が合う。

 

「どうしたの、大阪ではないの?」

 

「帰ってきたよ。また、午後の便で行くよ。全く。なんだよ。一体」

 

 そう言いながら、どんどんと部屋に入ってくる。

 

「ここに座って」

 

「はい」

 

「何があったのさ」

 

「何にも」

 

「嘘つけ。言ってみろよ」

 

「見たのよ、二日続けて見たの。それだけよ」

 

 彼女と仲良くデートしたり、ランチしたり。腹を立ててないわと言いながら、ぐちぐちと言い続けた私。

 彼は顔面がくしゃっとなるくらい笑い出した。破顔一笑とはこういうことか。

 

「あの人は姉の友だち。クリスタルクオーツを使ったデザインしてる人。いわゆるデザイナー。プレゼントに何がいいか聞いたらデパートで展示してるって言うから。見に行ったのさ。指輪もあるって」

 

 話がつかめない。きょとんとしていると、彼は続けた。

 

「とてもダイヤは買えないけど、ハーキマーならと思って」

 

「ハーキマーってなあに」

 

「あのね、ドリームクリスタルともいうのさ。鉱物学的には水晶だけど、エネルギーを持ってて、バランスを整えるんだって。受け売りだけど」

 

「これさ」

 

 小さな箱に可愛いリボン。

 

「あけてみて」

 

「わあ、きれい」

 

 大きなハーキマーダイヤの周りに小さなルビーが付いている。まるで花飾り。

 

「どうですか?」

 

「素敵、本当に素敵」

 

「旅行資金は貯めたんだけど豪華な指輪までは貯まらなかった」

 

 左の薬指にはめてくれた。

 ハーキマーダイヤ。

 うわーん、そのあと飛びついたおかげで、彼は机に頭を強打し後頭部にたんこぶを付けて大阪へ行った。

 

 私たち、あの居酒屋で披露宴します。

 もちろんみっちゃんのウエディングケーキが出ます。

 

 

 

                                           

storry by 河 美子

jewelry by corda design

石と誰かの物語13*「お母さんったら」

 この寒い日に朝から電話。


「律子さん、悪いけどあのいつもの羊羹買ってきてくれる?」


「お母さん、今日は雪が降っていて足元が悪いから明日ではいけませんか?」


「そうだけど、今日はお茶の友だちが来るのよ。一本お願いするわ」


「わかりました。お昼までにはお届けします」


 その返事を聞くまでもなく電話は切れた。
 私は専業主婦だけど、暇ではないのよ。これからまひろを予防注射に連れて行く予定だってあるし、二歳児を留守番させるわけにもいかないし、しかも外は雪がちらついてるわよ。言ってやりたい。
「てめえで買いに行きやがれ!」って。
 口が裂けても言えないわ。お母さんはいい人よ。そう世間的には。お茶もお花も嗜んで。話せば楽しいことも多い。でも、人使いが荒い。特に私には。働いていないという理由で。だって、まひろを預かってくれる保育園はない。そう、また落ちたのよ。だからと言って、姑に預けることは私の選択肢にはない。
 一度、夫婦でノロウイルスにやられて、姑に一晩預かってもらった。その翌日迎えに行くと、まひろは泣きはらした目で眉間にこぶ。


「階段から落ちちゃったのよ」


「え?」


「だって階段上りたがるでしょ。私の手を払いのけてひとりでのぼるってきかないの。すぐ下で見てたんだけど靴下ですべっちゃって。でも、一段だけよすべったのは」


 そんな……。階段から落ちたという事実が許せない。しかも、おやつはこの甘いチョコレートやポテトチップスらしい。


「ごはんをあまり食べないからお菓子を食べたのよ、ねえ」


 まひろはすっかりスナックの塩味に魅せられてる。
 別にあげない訳ではないけど、私だってお子様用は買うこともある。でもね、こんなに大きな袋を渡すことはないわ。


「ありがとうございました」


 礼を言いながら、頭には血が上る。
 ノロにやられた体にまひろの塩味たっぷりの頬がたまらない。
 夫に話すと、げらげら笑いながら額のこぶは立派な子どもの勲章だと頭をなでている。
 そうよ、確かに子どもは元気に育ってほしいけど、傷はつけないでほしいのよ。

 あ、羊羹、買いに行かなきゃ。一度近所の羊羹が美味しいからお土産に持って行ったのが事の始まり。


「律子さん、これ最高よ。お友だちにも食べさせてあげたいわ」


 それ以来、誰か来るときには必ずこの羊羹が必要となった。舅は夫が子どものころに交通事故で亡くなった。それから母が公務員を早期退職するまで一人息子を育ててきた。私たちの結婚にも喜んでくれて同居などしないと言い切った。夫は心配そうだったが、母はあっけらかんとしていた。


「やっと、あの子も独り立ちね。よろしく頼むわ」

 私の友だちはみんな姑のことを羨ましがる。


「あんなあっさりしたお母さん、本当にいいわよ。お菓子ぐらい買ったげなさい」


「そうだけど」


「律子、私のところなんて毎日電話してくるわよ。旦那を相変わらずぼくちゃんって言うし」


「それはいやね」

 そうか、羊羹ぐらい買うか。寒いけど。予防注射は後日にしよう。まひろは長靴を用意するとけたたましい笑い声で外に出られると喜んでいる。車はなかなか暖まらない。老舗の店には客がゼロ。


「いらっしゃいませ」


 栗羊羹を家用と母とに二本買う。


「こんな寒い日にありがとうございます。このどらやきを息子さんにどうぞ」


「ありがとう」


 まひろは嬉しそうに礼をする。


「え、売り物をいただいていいんですか」


「ええ、今日初めてのお客さんですから。寒いから誰も来てくれそうもないって主人と話してたんです」


 まひろはもう食べると言ってきかない。優しい奥さんはまひろの袋を切ってくれた。


「おいしい?」


 頷きながら黙々と食べるまひろ。
 車に乗せると、五分も経たないうちに寝る。


「お母さん、律子です。こんにちは」


 部屋に入ると、母が顔中包帯。


「どうしたんですか、その包帯」


「昨日、自転車で転んじゃって。派手に転んだから救急車を呼ばれちゃって」


「痛いでしょう」


「痛いより恥ずかしいわよ。鼻から転んじゃって。でも鼻が低いから折れなかったのよ」


 アイタタと言いながら笑う母。顔はひどい擦り傷状態。縫うほどではないけど血だらけになったらしい。まひろは驚いて言葉もなく怯えてる。


「悪いわね、寒いのに。でも、この顔を見に悪友が来るって言うから。買いに行けないし」


「いいんですよ、話してくれればよかったのに。そうしたらもっと夕飯の用意もしてきたのに」


「いいの、悪友たちがお鍋するから。それに、ほら、手は使えるから。そうそう、律子さん、ちょっと先だけど誕生日のお祝い」


 手には小さな箱。あけると、ブローチ。黒い水牛の台にローズクオーツが付いている。

 

 

 


「軽いでしょ、帯どめにもなるの。軽いからスカーフにも付けれるわ」


「ありがとうございます。素敵ですねえ」


「昨日、出来上がったから取りに来てって、もらいに行ってこの始末」


「ああ、お母さん。ごめんなさい。そのために怪我して」


「違うわよ、ただのおっちょこちょいよ」

 帰り道、まひろには箱だけプレゼント。私は胸に光るローズクオーツ。
 やっぱり、お母さんはいい人だわ。
 大事にしないと……、ブローチもお母さんも。

 

 

作:河 美子

石と誰かの物語12*「クリスマスのヒーロー」


 今日から息子と二人でテーマパークに行く。

 悲しいかな、東京ではない。じゃ、大阪か。いや、違う。じゃ、九州か。

 ははは、四国にもあったのね。あったのよ。

 小さなブティック勤めの私には東京に行く旅費もない。高知からどれだけかかると思う?給料の半分よ。半分。でも、冬休みなのにどこも連れて行かないのはあまりにかわいそう。夏休みは海という手もあったけど、冬は海では喜ばない。どこかの首相は景気は右肩上がりというけれど、それはどこの国の話? 少なくとも四国ではない。四国は日本でなかったのかも。

 

「ママ、ドナルドに会える?」

 

「うーん、親戚には会える。確か似たようなキャラクターが」

 

「ミッキーは?」

 

「これも親戚がいるかも」

 

「ふーん」

 

 息子はさっきから嬉しそうにクリスマスソングを歌ってる。そうよ、カーステレオから流れるのはクリスマスソングメドレー。四歳の息子には随分と我慢させている。居残り保育だって誰よりも多い。離婚して三年。元夫は酒癖が悪く、飲むと酒に飲まれてしまう人だった。学生のころはなかったが、会社に入ると面白くないことが増えていったのか、飲むと荒れてやがて暴力をふるうようになった。子どもに危害を及ぼしそうになりついに離婚。でも彼を支える人はすぐに現れたようで再婚して東北に行ったと聞いたのは先月の話。養育費や慰謝料はない。とにかく早く別れたかったから。

 離婚当初は父と母がいたが、去年、大阪に住む兄夫婦に双子が生まれて、どうにもならないと助っ人の要請が来て同居するようになった。残された古い家は私に残してくれたからどうにか暮らせている。母の手が借りられなくなって何倍も忙しくなった。母にどれほど助けてもらっていたのか痛感した。食事から寝るまで息子は母に育てられていたのだ。一年経ってようやく一人でどう動けばいいかわかるようになった。

 もちろん、息子に我慢させることになったのだが・・・。

 

「ママ、おばあちゃんが送ってくれたCDはいいねえ」

 

「本当ね、どの曲も楽しいね」

 

 そう、このクリスマスソングは母の贈り物だ。音楽が好きな息子にいろいろと考えて送ってくれたのだ。

 

「あわてん坊のサンタクロースは僕のところにも来るかなあ」

 

「もちろんよ。しんちゃんのところにも来るわよ」

 

「煙突ないよ」

 

「大丈夫、煙突なくても来てくれるわ」

 

「ねえ、サンタさんは僕の欲しいもの分かるの?」

 

「え? どうかしら。何がほしいの?」

 

「おばあちゃんのところに行く飛行機」

 

「そ、それはどうかなあ。サンタさんの袋にあの飛行機は入らないと思うよ」

 

「じゃ、双子の弟」

 

「そ、それは無理よね」

 

「だって赤ちゃんは小さいから袋に入るよ」

 

「寒いし、風邪ひくじゃない。北の国から来るし。あの戦うヒーローのおもちゃは?」

 

「いらない。僕がなるし」

 

「あ、そう。ヒーローになるの」

 

 クリスマスまでまだ日があるけど、なかなか難しいわね。

 サンタクロースにお願いがある。子どもだけでなくて、ママにも来てほしい。そっと財布に札束を入れてくれるとか。朝起きたら執事がいるとか。

 そんなことを考えながら運転していたら小さな道で対向車。強気で進んでくる。私にバックしろっというのね。バックしたら、ガタン。あ、側溝に落ちた。脱輪。

 すると、対向車はすーっと横をすり抜けて黙って行ってしまった。なんてこと。 あわててカードを出して車のサービス会社に電話。この日のためにお金を払ってきた。十年払ってやっと初めて使う。

 

「車を出してくれるの?」

 

「うん、三十分待ったら来てくれるって」

 

「ふーん、ヒーローが来るんだね」

 

「まあね、地味な格好だけど」

 

「え? 赤いのや青いの着てないの?」

 

「そうよ。でもすごいの機械を簡単に使うの」

 

「へえ」

 

 子どもっていいわあ。こういう時にも夢があふれるのね。いい子に育ってるじゃん。しんちゃん。ときどきおもらしするぐらい許すわ。

 

「お待たせしました」

 

「あ、どうもすみません」

 

 テキパキと動く彼。なんと簡単にジャッキを使いだしてくれた。私が手伝おうとすると、危ないからと手伝わさせない。しんちゃんは目を輝かせている。以前、夫が脱輪した時は私が車から降りて板を探してもぐりこんだものだが、彼は運転席から指示するだけだった。なぜ私がと思ったが、機嫌が悪くなるのは目に見えていたから言われるままに。車も押した。

 今、このヒーローは一人でさっさと脱輪から救ってくれた。

 

「本当にありがとうございます」

 

「ねえねえ、ここにサインして」 息子はリュックから小さなメモ帳を出してペンを渡している。

 

「あの、サインはお母さんがこの書類に」

 

「ママじゃなくてヒーローがここにサインして」

 

「あ、そうですか」

 

  慌てて小声で訳を話す私。

 
「すみません、ヒーローが来て直してくれると言ったから」

 

「あ、そうですか」

 

 途端にノリがいい彼はヒーローのように動いた。

 

「よーし、ここに特別にサインしてあげよう」

 

 書いたのはヒーロー斉田と書いている。斉田さんっていうのね。

 

「ありがとうございます」

 

「地球に来た証拠にお母さんがここにサインしてください」

 

「はい。次はどこに助けに行くの?」

 

 ふざけて言うと、斉田さんはにこっと笑った。

 

「はい、次はおじいさんがパンクして困っているから助けに行きます」

 

 そう聞くと目がキラキラした息子は握手までしてもらった。

 

「頑張ってください」

 

「はい」

 

 なんだかとっても幸せな気分。本当にヒーローに会ったみたい。脱輪してへこんだ気分がこんなにも爽やかになるとは驚いた。それからテーマパークに着くまで息子は興奮してしゃべり続けた。

 四時間たっぷり遊んで、帰りはゆっくりと安全運転で帰った。帰り道に小さな喫茶店で素敵なブルーの石を見つけた。オーナーが手作りでアクセサリーを売っているという。どれも素敵。

 

「素敵ですね、これください」

 

「ママ、何を買うの?」

 

「この石のペンダント」

 

「ママきれいだねえ」

 

「しんちゃん、いい子ねえ」

 

 思わず頭をなでる。

 

「これはラブラドライトです」

 

「へえ、きれいな石」

 

「再会の石ともいわれるんですよ」

 

「ママ、買って。そうしたらあのヒーローにまた会えるよ」

 

 それはどうでしょう。あのヒーローは私が車でピンチにならないと現れないわ。どちらかというと会いたくないわね。

 二人でケーキセットを食べながら私はペンダントを胸に飾った。

 

 

 

 あの日から一年。

 息子は年中組になった。相変わらずヒーローに夢中だ。

 

「ママ、僕ね、新しい友だちができた」

 

「そう、お名前はなんていうの」

 

「涼ちゃんだよ。足が速くてね、かけっこ一番なの」

 

 そうか、しんちゃんはその次なのね。

 クリスマスには保育園の発表会。息子たちは戦隊ヒーローのダンスがあるらしい。レッドの衣装を着けるのは涼ちゃんで、うちはグリーンだって。

 いそいそ出かけると戦隊ヒーローになりきったグリーンのしんちゃんが来た。

 

「ママ、かっこいいでしょ」

 

「本当ね。私の息子じゃないみたい」

 

「ママ、あの子が涼ちゃん」

 

 指差した先には赤いヒーローが。パパと手をつないでいる。息子は急に騒ぎ出した。

 

「ママ、あのパパ、ヒーローだよ、車の時の」

 

「え? 誰」 

 

 斉田涼介のパパがあの脱輪から救ってくれたのだった。斉田さんも息子が興奮して話すから思い出したようだった。

 

「ああ、あの時のサインしたのが君か。しんちゃんか」

 

「そうだよ、涼ちゃん、君のパパすごいねえ」

 

 もう涼ちゃんも鼻が高くて嬉しくて興奮吟味。

 

「パパが救ったの? すごいねえ、レッドのパパもやっぱりヒーローだよ」

 

 聞けば、涼ちゃんのママは子どもを好きになれず、育児拒否とかで生後半年で家を出て行ったそうだ。斉田さんは困って実家に戻ってきたという。それぞれ、親がいないとどうにもならなかったという話に意気投合した。今年から母親が体を壊したので、保育園の送り迎えができないということで勤め先近くの保育園に変えたそうだ。

 

「クリスマス、うちで二人ではつまんないよ。涼ちゃんたちもうちにおいでよ」

 

「そうね、チキンは買ってるし。手巻き寿司でもいいですか?」

 

「いやいや、そんなご迷惑は」

 

「パパ、行こうよ。しんちゃんのうち」

 

「そうですよ、遠慮なさらず」

 

 四人で過ごすクリスマス。なぜかものすごく楽しかった。子どもたちが仲がいいのはもちろんだが、斉田さんもとても感じよくって、離婚以来こんなに楽しいクリスマスは初めてだった。

 二人を送ると、玄関に飾っている鏡に映る私。胸にあのラブラドライト。

 そう、再会の石っていったっけ。思わず握りしめた。

 

 それからは冬休みになると、四人で出かけたあのテーマパーク。

 

 今日は結婚二年目のクリスマス。

 

「あの脱輪はいい思い出だわ」

 

「そうだね」

 

「来年は五人家族になると思ってたら六人になるらしいわ」

 

「え? 」

 

「はい、戦隊ヒーローも五色じゃ足りないわ」

 

「じゃ、ゴールドは君だね」

 
 しんちゃん、あの時の願い事、もう一つ達成できそうよ。

 

 

 

 作:河 美子